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会社沿革

会社沿革

1858年(安政5年)

初代吉原善吉生る。父武太夫38才、母フヂ35才の三男。
於土井町洗切。父は鮮魚商及カマボコ製造業を営む。

1871年(明治4年)

12月20日父武太夫死去、行年52才。善吉14才。
この間、鮮魚商の仕事をしていたものと思われる。

1879年(明治12年)頃

善吉、若松屋の娘重松キチと結婚。善吉22才、キチ21才。

1892年(明治25年)

善吉、土地、建物を購入し、店を構え商売を始める。
従来、これをもって吉善商店の創業とされている。

1919年(大正8年)頃

店の隣の土地建物を購入。
これが昭和42年迄本店として使用していた建物である。江戸 後期の建築らしい白壁土蔵作りの家で、焼物屋として使われ ていたもの。

昭 和 初 期

この頃から、鯨を取り扱い始める。主として呼子、小川島で捕 獲されたものであったらしい。

1930年(昭和5年)

5月15日会社設立。合名会社吉善商店。

代表社員  吉原 善一 47才

1936年(昭和11年)

大洋捕鯨(株)設立。南氷洋へ初出漁。
南氷洋の鯨(主に塩蔵品)も取扱ったものと思われる。
なお、長崎県早岐町に於いて、鯨肉入札会(早岐入札)が、この頃 より始められた模様。昭和8年頃からとの説もある。

1944年(昭和19年)

8月善三、再召集を受け、マレーへ出征。

1946年(昭和21年)

5月復員。家業(鯨肉、鉄工所)に従事。

1946年(昭和21年)

日水、大洋各1船団、南氷洋へ戦後初出漁。

1951年(昭和26年)

12月6日吉原善三、合名会社吉善商店代表社員就任、40才。
この頃、日本水産とも取引があったが、昭和27年南氷洋で 同社の鯨肉運搬船摂津丸が鯨肉製品3000トンと共に沈没し、 この年日本への鯨肉搬入量が激減した。これを契機に、大洋 とも取引のあった吉善に対し、日水より、日水を取るか大洋を とるかの決断を迫られ、日水との取引継続を断念した。又大洋 の紹介で極洋捕鯨(株)との取引がこの頃より始まった。

1954年(昭和29年)

1月佐世保市本島町へ営業所を出す。

1957年(昭和32年)

唐津市西唐津へ営業所を出す。

1967年(昭和42年)

2月1日吉善商店を株式会社へ改組。

代表取締役 吉原 善三

1969年(昭和44年)

11月佐世保営業所、万津町へ新築移転。

1974年(昭和49年)

8月弘雄(株)吉善商店入社  27才。

1982年(昭和57年)

本店、大坪町へ新築移転。

1986年(昭和61年)

7月19日吉原善三代表取締役を辞任、取締役相談役就任、74才。
吉原弘雄代表取締役に就任、39才。

1987年(昭和62年)

商業捕鯨禁止となり、調査捕獲事業開始。捕獲頭数300頭と 激減。

大正7~8年頃

大正7~8年頃

旧佐世保営業所(本島町)

旧佐世保営業所(本島町)

早岐入札

早岐入札

昭和30年頃、母船入港式

昭和30年頃、母船入港式

昭和42年代、解体前の本店(新町)

昭和42年代、
解体前の本店
(新町)



佐世保営業所

佐世保営業所

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